東日本大震災 -2011年-

歴史には峠がある。それは昨日までの価値観が、翌日には全く別のものと代わる瞬間だ。
2011年3月11は、その歴史的な一日である。 きっと後世の歴史家、学者も異を唱えない筈である。
そして私達は、この日に起きた事を絶対に忘れないだろう。

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■2011年 3月11日(金)
14:53頃、東北と関東地方は、M9.0というとてつもない大地震に襲われた。
この時、こーちんの庭は、震度5弱〜5強の揺れが10分間近く続いたように思う。
そして、記憶が定かではないけれど、10分後くらいに同じくらいの大きな揺れが再び来ました。
後から解った事ですが、震源地が三陸沖から茨城沖まで移動しながら、
複数の大地震が連鎖的に起こった結果の世界的にも巨大・長期地震だったようです。

■我が家のこっこ達
1回目、14:53頃の揺れ初期は、普通の地震のようでした。
私は、居間にいて、「うちのこっこは、今回も予知しなかったな〜。
揺れているけど、ちゃんとぴよ太が雌鶏さん達を避難させてくれるかな?」と呑気に庭を眺めていたのです。
そしてこの時、震度が2か3くらいだと思っていたのです・・・。

そうこうしていると、30秒もしないうちに本震動が来ました。
気象庁発表によると、”震度5強”の揺れです。
こっこ達は、凄く怖がって一箇所に固まって「コケッ〜コッコッコッコッ〜コケッ〜コケェ〜!」って警戒鳴きをしちゃってます。 私も歩けない程じゃないけれど、室内からよろめきながら(家が潰れるのも怖いから)庭へ出て、
ぴよ太達の所へ行って名前を1羽ずつ呼びました。
「大丈夫だよ! 一緒だから怖くないよ! みんな一緒だよ」と、揺れの収まるまで、繰り返し話し掛けました。
段々揺れが強くなって、私は、太い庭木にしがみ付きました。
こっこ達は、運動神経が抜群だから、両足でちゃんと立っていて、転ぶ事もありません。
頑張って踏ん張ってます。

この地震が収まって暫くすると、こっこ達は、正気を取り戻してぴよ太の誘導で木陰へ避難しました。
ぴよ太は、いつもそうしているように、この時も1羽で背伸びをして、回りをキョロキョロと危険がないか否かを警戒してます。 みんな、とても偉かったです!

お姉ちゃんぴよは、高齢で疲れたのか、座り込んで休みました。
若い3羽は、木陰で羽繕いをしたり、地面を突付いたりして過ごしてます。
何れにしても5羽は固まって、決してこの木陰から離れる事はありません。
まるで、事前に避難方法を打ち合わせていた家族のようです。 ←コレも偉かったです!

地震から5分程経つと、父が畑からトラックで帰って来ました。
「今の地震、大きかったぞ! 道の車は、一斉に全部止まったよ!」との第一声です。
そして暫くすると、また震度5強クラスの地震がこーちんの庭を襲いました。
1回目から10分後かどうかというタイミングだったと思います(記憶が曖昧です)。

1回目の地震を経験した後だから、直ぐに家族全員が庭へ出ました。
瓦屋根が怖いので、そのような建物が無い庭へ逃げました。
こっこ達は、怖がってまた警戒鳴きをしています。
激しく揺れる庭を、中腰でコーチン一家の場所まで行って、ついさっきの1回目地震の時と同じく励ましました。 
1回目と同様に、全員が固まって団体行動をしてくれたから良かったです。
パニックを起こして、門から走り出て車に轢かれたりしたら大変ですからね。。。
きっとぴよ太が頑張ってみんなをまとめてくれたのだと思います。
お疲れ様! ぴよ太! 雌鶏さんたち!

■工場火災発生
2回目の揺れの後、街の様子が急に心配になりました。
それは、大地震に付き物の”火災”です。
阪神淡路大震災でも発生し、多くの尊い人命を奪った二次災害です。

周囲を見回すと住宅地からは煙は昇ってません。
安心は出来ないけれど、取り合えずOKです。
けれど、工場地帯へ目を移すと黒煙が幾筋も昇ってます。
その数、2本、いや3本です・・・。
そのうちの1本の煙は、30分、1時間と時間が経つにつれ、太く大きくなりました。
そして、庭からも”炎”がメラメラと燃える様子が見えるまでになりました。

空は、石油コンビナート火災からの黒煙で覆われ、とても恐ろしい光景です。
3時半だというのに、夕方のように暗く、オレンジ色の炎が揺らいでます。。。
だから、こっこ達のご飯を私の玄関前へ移動しました。
恐ろしい光景を見ながらだと、人間と同じでご飯も喉を通らないと思って、工場から陰になる玄関の軒下へ移しました。

私も少し冷静になって室内の被害を見て回りました。
取り合えず、自室の石油ファンヒーターは、セーフモードで停止していて大丈夫です。
物の散乱やガラス割れは、運良くありません!
しかし、廊下の金魚水槽を見ると・・・、
水が溢れ出て、エアーポンプがその水で壊れて停止しているではないか〜。
とは言うものの、転倒してガラスが割れたりしておらず良かったです!
金魚ちゃんも助かりました!
地震の時のコーチン一家、東日本大震災
(1回目の地震後、ぴよ太が雌鶏たちを木陰へ誘導しました)

地震の時のコーチン一家、東日本大震災
(とっても怖い”工場火災”が見えないように、玄関軒下へ避難しました。)

庭からの見える黒煙、東日本大震災の直後
(地震直後、数箇所の工場から火の手が上がって、市内を黒煙で包んだ)

金魚の水槽、東日本大震災
(午後4時頃、工場は炎が見えるくらいに燃えている/金魚の水槽も水が溢れた)


■工場大爆発の恐怖
午後5時頃、とうとう大爆発が起こりました。
地響きを伴い、爆音は人間の聴覚の限度を超え、割れた甲高い音に聞こえます。
閉めた雨戸と、内側のガラス戸をガタガタと揺らしながら数秒も轟きます。
夕焼けのようなオレンジ色の強い光が、外からの隙間を縫って部屋へ射してます。
直ぐに、工場タンクの爆発だと解りました。
(平時でも、「空のタンク清掃中に引火」というような爆発が時々ありますから/苦笑)

音が止んだあと、庭へ出ると、コンビナート上空に大きな火球が昇ってます。
火球の直径は、恐らく数百mあると思われ、庭一面オレンジ色に昼間のように明るくなりました。
私は、こっこ達の怖がっている声に気付きました。
そして、母屋小屋の方から私が居る玄関へ向かって、”ぴよ太、ぴよ美、お姉ちゃん”の3羽は、羽ばたきながら普段はそんなに飛べないのに、一生懸命に沢山飛んで来ています。
餌箱を置いた玄関前に誘導して、「此処なら大丈夫だよ!」と、落着かせました。
落着いたこっこ達は、暗い庭に戻った景色を見て、再び母屋小屋の寝床へ戻って行きました。

けれど、爆発は1回ではありませんでした。
これもまた記憶が曖昧だけど、5回に分かれて、10分か20分間隔で大爆発が続きました。
私自身、そして家族、近所の人間にとっても恐怖でした・・・。
その度に、母屋小屋の3羽は、寝床から起きて、ダッシュで逃げて来ます。
どうする事も出来ず、とても怖いな思いをさせてしまいました・・・。
ですが、5羽のこっこ達は、この恐ろしい光景を何とか乗り切ってくれました。
本当に良かったです。

下写真は、私が火災の時に撮ったものです。
当然、外へ出て撮っていた訳だけど、大爆発の1分後くらいに「パラパラパラ」と固形の物体が降ってきます。
落下物の大きさは正露丸くらいで、特に当たっても怪我をするような大きさではありません。
きっと工場プラントの破片か、タンク内の燃えカスなんだと思います。
しかし、この時点では得体も解らず、気味が悪いので直ぐに自宅へ戻りました。
工場大爆発、東日本大震災
(夕方、工場火災が勢いを増して、恐ろしい大爆発を繰り返した・・・)


工場大爆発、東日本大震災
■飛来物
大爆発の翌朝、庭から採集したあの落下物です。 正体は、タールが燃えながら空中で球体になって降って来たようなカスでした。
この燃えカスは、落ちた後にその場所へ癒着していた物もあるから、きっと高温のまま、ドロドロ状態で降って来たのでしょうね。。。 頭に落ちたら、髪の毛が焦げていたかも(苦笑)。

街の掲示板に「車が汚れた」と多数書き込みがあったけれど、この飛来物がフロントガラスなどへ熱いままくっ付いたのだと思います。 それから、こっこ達が食べちゃわないか、ちょっと心配ですね・・・。 (2011.03.12 庭から採集)
      (翌日12日、庭から採集した飛来物。タールの燃えカス?)

発電機、東日本大震災
■発電機
後に実際に停電となった訳だけど、地震翌日にそれを見越して畑から農作業用のエンジン発電機を庭へ持って来ました。

HONDA製で、燃料はガソリン。
満タンで7時間くらい発電できます。 電流は、23Aなので、最大2,300Wの電気製品を使えます(小型エアコン2台分くらいの電気容量)。

けれど、エンジン音が五月蝿いです・・・。
こっこ達の最も嫌う音なんです・・・。
対策を考えなければなりません。
     (停電に備え、畑作業用のエンジン発電機を持って来た)

発電機、東日本大震災
■騒音対策
ある程度厚さを持った木材でぐるっと発電機を囲う事を、直ぐに思い付きました。
屋外に設置するので、耐水加工を施した厚み12mmコンパネで作りましたよ。 エンジンの排気の為、1箇所だけ開けて小屋とは別の方向へ向けました(開口部は段ボールをのれん状にしましたよ)。

早速エンジンを掛けると、騒音は半分レベルになりました! 全く五月蝿くない訳じゃあないけれど、何もしないよりは、全然良いですね〜。

エンジンを切ると、こっこが見学に来ました。
カキカキしながら「何だろう?」と覗き込んでます。
    (発電機カバーを作ったら、気になるのかこっこ達が見に来ました)

目の前の道路が大渋滞、東日本大震災
■凄い渋滞
地震翌日、12日は、未だ工場火災が続いてます。 下火になったものの、工場横の国道が通行規制されているらしく、滅多に大型車両の通らないこーちんの庭の前も写真の通りに大渋滞。。。
オマケに、10tクラスの車両も騒音を立てながら細い道を通行して、怖いくらいです・・・。

こっこ達は、渋滞や大型車両を余り怖がって無いけれど、早く工場が鎮火して迂回して来る車両が減り、日常通りに戻ると良いな〜。
   (”こーちんの庭”の前の道路は、規制された国道の迂回ルートらしい)

湾岸地域のビル、東日本大震災
■湾岸地域のビル
我が家は、少々古い木造建築ですが、何とか大丈夫でした。
25年くらい前に起きた”千葉県東方沖地震”は、我が家も含めて沢山の家屋の屋根瓦の落下や、壁のヒビ割れを起こしたけど、今回、不思議な事に被害を聞きません。
大きな揺れだったから、本当に不思議ですよ。

けれど湾岸地域のビルは、ダメージを受けたようです。
左写真のように、壁が大きく裂け、石膏ボード材の崩れ落ちそうになった建物も続出しています。
私の会社ビルについては、エレベーターの調子がイマイチです。
異音がするから暫く利用を控えて、階段を使うことにしました。
(丁度良いダイエットだと思うことにしました/笑)

液状化した道路や土地を地震後に見掛けたし、きっと地盤が軟弱な場所だから、このように被害も出易いのかも知れませんね。。。
余震が続く中で、このようなビルだと生きた心地がしないから、
早く何とかして欲しいな〜と、つい思ってしまいます。

因みに、こっこ達の母屋小屋は全く損傷はありません。
雨漏りもなく、今まで通りにこっこ達は寝てます。
   (外見は無傷でも、ビル内部はダメージを受けてます)

金魚の水槽、東日本大震災
■放射線測定開始
地震後、直ぐに原子力発電所が気になりました。
何れ発電所のトラブルが起こるだろうな〜と思って、数年前に秋葉原で入手しておいた線量計の1台の電源をONしました。
自宅(こーちんの庭)、3/11夜のことです。

地震後、不通となっていた電車は、数日後の3/15(火)から運転を始めました。 その翌日、私も出勤する事となり、残りの線量計を職場へ持って行き電源ONしました。

2台の線量計は、それぞれで普段より高い放射線を記録し続けました。 けれど、人体やこっこに直ぐに害を与えるレベルでは無く、(文献によると)10倍でも問題なさそうな放射線量です。
しかし、確実に数値は平時より高く表示されてます。

自宅と職場を比べると、距離が近いのか、或いは原発からの風の通り道なのか、職場の方が2割か3割高い放射線量です。 自宅と職場の線量計を入れ替えると、数値も入れ替わるので計測器は正しく測定してます。 結構場所によって線量が変わるようです・・・。
沢山の電池をストックして、続けて計測しようと思ってます。
(線量計を使って「こーちんの庭」と職場の放射線を監視)

庭からの見える黒煙、東日本大震災の直後
■食品が無くなる・・・
震災後、食品を筆頭に生活用品が店頭から姿を消しました・・・。
明らかに買い占めですね〜。
トイレットぺーパー、ガソリン、カセットコンロ、電池、水、カップ麺、
缶詰、弁当、パン、納豆、ヨーグルト、牛乳・・・。
ビックリするほどに在りません!
しかし、人間って慣れるものなのですね・・・。
直ぐに違和感無く、この光景に慣れました。

震災後の土日が明けて月曜日から計画停電も実施されて、震災前には想像も出来ない異常事態となりました。
平時と有事が一瞬で入れ替りました。
この光景を後々の為に、経験した者が記憶しなければなりませんね・・・。 悲しく辛い事ですが、貴重な経験です。
(地震後、スーパーの食品売り場は、品薄になりました)

■動画編集 (記2014.11.18)
以前撮影した動画ファイルを眺めていたら、2011年3月11日の映像が何本かありました。 地震発生直後から撮り始めたものです。 怖いから自宅に籠って衝撃波が収まるのを待って撮りましたが(苦笑)、精油工場タンク爆発直後の映像もありました。 爆発の瞬間には、戸を締め切った屋内まで廊下を伝わってオレンジ色の閃光が射し込み、「ドカァァァァ〜ン」という爆音とともに家が「バリバリバリバリバリィィィ〜」と音を立てて震えるほどでした。 2Kmくらい離れていますが、結構な衝撃でしたよ。 翌日、近所の方々と「あの爆発には、生きた心地がしなかった。」と言葉を交わした記憶があります。

3月の17時頃の爆発だから、日没前の薄暗いなか、こっこ達は各自の寝床に就いていました。 「寝ようかな」と思った頃に、数分間隔で複数回の大爆発を起こしたのだから、落ち付けません。。。 爆発のたび、パニックを起こしながら玄関前に駆けよって来て怖がり鳴いていました。 声を掛けてなだめても次の爆発がまた来てしまい、どうすることも出来なかった事を覚えています。 

爆発後、数分も経たずにパラパラと3mmの黒い粒が降って来ました。 精油所が爆発しているから、油の塊(すす?)だと直ぐに解りました。 コッコ達が食べても大丈夫なものか? 少し心配でしたが、1m四方に何百粒も降って来たので除去も出来ずに、放置するしかありませんでしたね。。。 当時の様子を編集しYouTubeに掲載しました。

東日本大震災の記録〜工場爆発に驚くにわとり達〜


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